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末広がりの部屋(元・全国大橋照子連盟会長)
元全国大橋照子連盟の末廣会長の不定期コラムです。
確か、大橋さんのご長男が「義大」君で、ご次男が「憲志」君だったと思いますが、「憲志」君と命名された時、随分と嬉しかったことを憶えています。
と、申しますのは、私の名前は「清志」で、同じ「志」の字を用いて下さったというところにあります。実際のところ、命名するに当たって、私のようないい加減な人間のイメージが、「志」の一文字にはなかったのだろうか?とさえも思いましたが、単純に嬉しい思いでした。
これも単なる偶然ですが、私の父の名前は「義夫」と申しまして、ヨッチャンの「義」と通じ?私の長男は、「大志」(たいし)で、これもまた通じるところがあります。
ホント、命名するときに、「志」の文字で、私のイメージ……
湧かなかったのだろうか?…………
「あ〜あ、バビル!」コーナー………
コーナーになった経緯をご存じでしょうか?
この《バビル》というのは、紛れもなくギャンブル大学初代学長、
T,T氏のことですが、副学長はヌシさんでしたか、中野さんでしたか…?
え〜っと、用務員は………
さて、そもそも「あ〜あ、バビル!」という意味は、
場がシラケた時に、こぞって皆で言ってみてはどうでしょう?という、
私の提案が採用されたものでした。
小話など、何か落とす時に使われるようになってしまいましたが、
時折、場違いな感じで周りを笑わせていたT,T氏の言動もあって、
顰蹙を買ってシラケた……ということもあったから故、
ここにルーツがあります。
何気なく提案した、呼びかけた言葉がコーナーになってしまったとは、
驚きと共に、感激がありました。
私はどちらかと言うと、自然派人間で、キャンプをするなど、
自然に溶け込みながら時間を過ごすのが大好きです。
最近、職場移動があったことで、
なかなか計画的な休みがとれなくなってしまい、
キャンプからは遠ざかってしまいましたが、暇あるごとに、
比較的近くの山々や、海に出かけて、それなりに楽しんでいます。
草花も好きで、昔から写真に撮っていましたが、
今は「デジカメ」で、あれもこれもと、写しています。
釣りも好き……料理を作るのも好き……
キャンプには丁度似合う趣味を持っている……という感じでしょうか。
たんぱ、大橋さん関係で、今までにいただいたプレゼント他となると、
一番最初が、「ミュージック・アルバム」や「ギャング・パーク」に投稿して
いた頃にいただいた、白い「たんぱのボールペン」と、「キャンディーズの白
黒のステッカー」だったと記憶しています。
(悲しいかな…残っていません)
ただ、会社の白封筒に、大橋さん自筆で宛名を書いていただいていたことに、
随分と感激したものです。
そう言えば、「チェリーの鍵」は、一個しか持っていませんし、
あと、特に何もないような気がします。
もう一つ、宝と言えば、私の結婚式の時に、サンフランシスコから届いた、
祝電……これにはもの凄く感激しました。
未婚の方々……司会を頼んで、引き受けていただける場合もあるでしょうか
ら、いっちょ!踏み切ってみませんか?(私には、もう叶わぬ望み…)
確か、「主」さんは、バリ島かどこか、海外旅行を当てたのですよね?
念願かなって?大学時代は、東京は世田谷での一人暮らしをしていた時期がありました。
これでスタジオへちょくちょく行ける!と、楽しみではあったものの、なかなかこれが、毎週というわけにはゆきませんでした。
やがて就職して、初めて大きな買い物をしたのが、「車」
当然?中古車でしたが、セリカ 1600GT(トヨタ)
モスグリーン色の、確か「だるま」と呼ばれていた車種で、後輪は225をはいていましたので、
その威圧感たるや、想像が付くことと思います。
ジーンズにTシャツ姿。サングラスにパーマでしたので、尚更です。
その車の両サイド下部に、市販のものでしたが、白のレタリング・シールを使って、恥も外聞も無く、
『All Japan The League of Teruko Ohhashi』と、貼り付けて爆音を鳴らしながら走り回っていました。
暴走族とは違いますが…………
結局、だ〜れも、この白抜きの文字には興味を示していませんでした。
やがて会員数が300、400、と、最終的に500名を越え、
にっちもさっちもゆかなくなって、お手上げ状態になってしまった経緯があります。会費については、少なくとも会報の発行等の費用に充てるため、最低限の額で徴収するつもりでいましたが、それだけの責任を持てる運営は、確たる組織化を含めて、難しい状況にありましたので、法に触れる可能性も考えながら、徴収を断念しました。
正式な会報発行までのつなぎとして、デモンストレーション版を発行していましたが、
当時は、現在のようにパソコンなど、便利な機器は無く、原紙をコピーする発行の仕方をしていました。書店等のコピー機を、勿論、有料で借りたものの、性能は悪く、安定した複写が出来なかったことを覚えています。
何と、大橋さん関連番組の録音テープ
(60分テープ、120分テープと様々…)
を約500本保管しています。会報に書き起こすことを当初は目的にしていましたが、
今では、「老後の楽しみ…」とでも言いましょうか……劣化させないために、
MDに落とすなり、色々と考えているところです。
ただ、主に札幌でエアー・チェックしたもので、その日の受信状況によって、
かなり、録音のコンディションにばらつきがあり、クリアな音を聞き返すというわけにはゆきません。
【主な録音番組】
●ミュージック・アルバム ●ギャングパーク ●ヤロメロ
●私の書いたポエム ●子門と照子のQSOジョッキー
●ミュージック・アラカルト ●名曲をどうぞ ●気象通報 ●青果物市況
●おはよう広場 ●ジングル?(イソップ、都道府県の花シリーズ)
●特番(キャンディーズ関係) ●初級ハム講座
商売になりそうな、良からぬ思いが頭の中をめぐっています。
今で言う「ハガキ職人」……あまり好きな呼称ではありませんが、
私も、そのはしくれなのかもしれません。現在はメールにたよっていますが、
以前は毎日、せっせせっせとハガキを書いていました。
特に大橋さん関係の番組へは、多い時で、一日、10通くらい……
若葉マークさんも、そうでしたよね?
どうしてそれまで固執するのか……
勿論、大橋さんを応援したい気持ちからであることに間違いはありません。
もう一つ、放送で読まれるという快感がたまりませんでした。
当時、受験生であった私は(二浪しています。)何かしら淋しい思いをして、
対面で話しかけあえる空間を、極度に欲していたのだと思います。
自己顕示欲もありました。何か自分の存在を明らかにして、自ら自覚したい、
注目してもらいたい……そんな気持ちの延長に、今の自分があるような気がし
ます。どこかでも話しましたが、育った環境もあって、親友はおろか、胸を張
って言える友達はいません。リスナーみなさんが友達……淋しいことでしょう
か……大橋さんがおっしゃられる意味合いとは違うのかもしれませんが、横の
つながりは、私にとって本当は人生に於いて、非常に大事な位置づけになって
いるような気がしてなりません。お付き合い、いただけますか?
視点を変えまして、今までに投函したハガキ、封書類含めまして、総数は、
ナンバリングで確認しているだけで、約7,000通。
実質、10,000通を越えていると思います。
それだけ淋しかったということてです。
(早々と、達成したリスナーがいましたが……東氏、どうしてる〜?)
今から約25〜6年前。当時はパソコンはおろか、
ゲームなどもありませんでしたので、
専ら「ラジオ」に興味を持っていました。真空管を使った「5球スーパー」
を作ったりもしました。(キットでしたが……)
夜は深夜放送を聴いて、受験勉強……。
●「オールナイト・ニッポン」(亀&アンコー、中島みゆき、タモリ…)
●「パックイン・ミュージック」(小島一慶、林 美雄…)
●「セイ・ヤング」(落合恵子、愛川欽也、野沢那智・白石冬美…)
●「アタック・ヤング」(地元、STVラジオ…臼井佳子さん、今いずこ?…)
ベストテン形式の音楽番組が当時多く、よくリクエストして、
ハガキが読まれることに快感を覚えてもいましたし、
「自己存在を確認する場」でもありました。
浮気になってしまうのか、たんぱでも、大橋さんに限らず、
大宮さん、富永さん、室谷さん、小野寺さん……のところにも、
ハガキを出しまくっていました。
そう言えば、「気象通報」の番組にリクエストを出した、
「主」さんの逸話? は有名ですね。
大橋さんを始めとして、リスナーみんなが大事にしていた横のつながり…
そのつながりの、一つの形として存在していた数多くの応援団体……
さきがけは「TOPP」(大橋照子を守る会)でしたでしょうか……
「けなそう会」「獅子舞チェリーズ」「チェリーズランド・カンパニー」
等々、大橋さんを支援・応援する、のべ30近くの会が発足ました。
当然のことながら、東西南北、全国をカバーする短波ですから、
中破局には無い、独特の集まりが形成されたわけです。
会報を発行する、各地で集いを開催する等、独自の活動が展開されました。
会報を発行することは、ごく当たり前のように思われるかもしれませんが、
当時としては、「ALTO」が最初に発行するようになりました。
会員数は最終的に500名を越え、組織の編成はもとより、
今後の展望・運営について確たるものを打ち出す前に挫折した形となってしまいました。(経緯については、追々触れます。)
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